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《2008年5月31日》
戦時中も平和貫いた宮沢賢治
地域9条の会が憲法学習会開く


 5月31日、盛岡市内の3つの地域9条の会(城東地区、中津川、河南)が憲法学習会を開きました。「宮沢賢治の平和論」と題して宮沢賢治の会元会長で平和憲法・9条を守る岩手の会代表世話人の吉田六太郎さんが講演しました。
 吉田さんは宮澤賢治とは20歳違いの93歳、戦時中を生き抜いた賢治の作品には「天皇もお国のためという言葉も出てこない」、まともにものが言えない厳しい時代に「世界が全体幸福にならなければ個人の幸福はありえない」と主張したことは驚くべきことと述べました。賢治の平和の思想は600の詩や144の童話などに貫かれていると述べ、兵隊検査に出る教え子に「目が悪いといって兵隊に行かないよう教え、丙種合格となって兵隊に行かなくてもよかったときには『おめでとう』とベートーベンのレコードを送った」ということを紹介しました。また、二十六夜の童話では、「攻められても跳ね返すのではなく、相手をわかってくれるまで待つ」という話を紹介。あだ討ちではなく和解を訴えていると述べました。賢治の平和思想は藤原清衡が築いた平泉の平和思想にあこがれ、それを受け継いだものと話しました。
 93歳の吉田さんの元気いっぱいの講演に「賢治の平和思想根底に平泉の平和思想があることが理解できた」「賢治の童話の持つ深い意味が少しわかった」など参加者は大きな感動を受けました。


《2008年5月31日》
仁王ケアセンターすみれが開所式
在宅介護の拠点に


 5月31日、仁王ケアセンターすみれの開所式が行われ、私も出席しました。名須川町の元仁王診療所跡に和風で3階建ての介護施設として建設されました。開所式には盛岡市の介護高齢福祉課長、民生委員協議会会長、地元の仁王福祉推進協議会、名須川町町内会長さんなど地元の方、盛岡医療生協の方などが参加。
 施設は、1階がデイサービス(定員12人)、2階が自主事業のお泊りサービス、来年度からはグループホームとして活用をめざしています。3階にはケアマネージャーと鍼灸があります。
 地元の方々に長く親しまれた診療所跡へのケアセンターの整備だけに期待も大きいものがあります。民生委員協議会会長の佐藤三春さんは、「仁王地区には高齢者の一人暮らしが400世帯、高齢者だけの世帯が2700世帯あり、地元の要望にこたえる施設だ」とあいさつしました。


《2008年5月31日》
岩山登山道の落石が取り除かれました

 岩山登山道は、毎日の散歩やウォーキングに大変利用されています。4月にシベリヤ抑留資料館付近の石垣が崩れて、岩が道路に転がっていて危険だとの声が寄せられ、早速現場を見て盛岡市の担当者に連絡しました。その後落石した大きな石は取り除かれました。岩山地域はたくさんの野鳥とともに、カモシカやタヌキ、熊まで出るところです。盛岡市を一望できる里山として慕われています。私も岩山のふもとに住んでいて、毎朝キジやヒヨドリ、シジュウカラ、カッコウ、ウグイスなどの声で起こされます。岩山の自然を守り、活用したいものです。


《2008年5月24日》
少人数学級の拡充へ講演と活動交流
30人学級を実現するいわての会


 5月24日、30人学級を実現するいわての会(新妻二男代表)は盛岡市の上田公民館ホールで「少人数学級を広げるための教育講演会」と世話人・地域の会代表者会議を開きました。
 講演では、三輪定宣千葉大学名誉教授が「30人学級で子どもが輝く教育を」のテーマで話されました。三輪さんは、教育の本質と学級規模について、1947年に制定された教育基本法で、「個人の尊厳」を重んじ、「人格の完成」をめざす教育は、改定教育基本法にもそのまま受け継がれているが、一人ひとりを人間として大切にし、その最大限の全面的発達をめざす教育だと強調。その教育条件の根幹が学級規模の問題だと指摘し、今日でも世界共通の教育尺度は「教師対子どもの比率」であると述べました。
 少人数学級と教育効果について、教育委員会のアンケート、教師のアンケート結果、教育学会の調査研究、アメリカの研究動向も示し少人数学級の効果は明らかと述べました。世界の教育改革と学級規模については、欧米ではほとんど20〜30人となっており日本の40人は異常であること。PISAの結果では、協同学習の国が競争学習の国に学力で勝る傾向が示されていると述べました。
 講演後、世話人・地域の会代表者会議が引き続き開かれました。この間の取り組みでは、胆江地区で35人学級を3年生まで拡充を求める署名が15000人を超えて進められたこと。小学校訪問の取り組みなどが報告されました。事務局からは、教師やPTAと協力し、11月までに10万人署名に取り組むことが呼びかけられました。
 私は来賓を代表して挨拶し、この1年間の少人数学級をめぐる動きについて、@35人学級についての県教委の検証結果でもすばらしい成果が示されている、A昨年9月県議会で「少人数学級を小学校全学年に拡充を求める」請願が全会一致で採択されたこと。B今年3月県議会で県教育長が08年度中に少人数学級を拡充するか、少人数指導か、市町村・学校の選択性にするか方向を決めると答弁したことを報告し、少人数学級の拡充にとって今年の運動が特別に重要と話しました。


《2008年5月22〜23日》
小規模校の役割と存亡の危機―県立岩泉高校田野畑校を視察
県議会商工文教委員会が県内調査


 5月22〜23日、県議会・商工文教委員会が田野畑村、宮古市の教育と雇用、地場企業の状況について調査を行いました。
 10時、県議会を議会のバスで出発、岩泉街道・早坂トンネルを通って岩泉町の道の駅いわいずみで昼食。1時20分に県立岩泉高校田野畑校に到着。小規模校・分校の状況について聞きました。田野畑校は昨年度の入学制が20人となり分校として存続できました。しかし、今年度の入学生はわずか4人。田野畑村からの入学生は1人でした。2年生は20人、3年生は13人、合計37人の小規模校です。3月の卒業生も4人でした。分校の場合、入学生が20人未満が2年続けば統廃合の対象となるのが県教委の方針です。存亡の危機を迎えている状況です。しかし、小規模でも生徒を大事にしたすばらしい教育が行われていることに感動を覚えました。昨年は高校野球でも1回戦を突破し、菅窪鹿踊の郷土芸能や放送委員会の取り組みでは高文祭でもすばらしい賞を何度も受賞しています。今年卒業した4人は入学のときからさまざま問題を抱えていた生徒のようでしたが、卒業したときには、経済的理由もありますが、看護師や介護士、漁師などそれぞれ明確な進路希望を持って働きながら学ぶ進路を決めていました。若い先生方が生徒に寄り添いたくましい成長を築いている教育の原点を見る思いでした。子どもにとっても地域にとっても必要な分校をなんとしても存続してもらいたいと感じました。今年度は県立高校のあり方を検討する時期ですが、子どもと地域の立場に立ったあり方が必要と感じました。

田野畑中学校と寮(寄宿舎)を視察
小学校の統合と併せて寮は廃止に


 田野畑中学校は昭和49年に全村1校に統合が決まり、昭和54年に統合され、昭和44年には寄宿舎が建設されています。現在新校舎が建設中で体育館は完成しています。現在の校舎も寄宿舎も斬新なデザインの施設で、校舎は合理性にかける感じがしましたが、寄宿舎は今でもモダンできれいな施設でした。月3000円の寮費で朝夕おいしい食事が出ているとのこと。3人部屋(4人部屋用)もとてもきれいに使われていました。小学校が2年後に6校の統合が決まっていて、その際中学生を含めたスクールバスの運行となるとのことでした。田野畑小学校の「放課後子ども教室」についても調査しました。

ジョブカフェみやこの取り組みを調査

 23日には9時からジョブカフェみやこを訪問調査しました。ここは、若年者の雇用対策と高年齢者職業相談室が併設していること、地域産業支援の取り組みが行われていることに特徴があります。今年度から就業支援員5人がジョブカフェに配置され、各高校を分担して高校の先生とともに就職した卒業生と企業を訪問しているとのことでした。昨年度のジョブカフェの実績は、利用総数5061件、うち若年者1469件、相談件数1263件、うち若年者562件、就職決定者210人となっています。産業支援活動はいわてNPO事業開発センターに委託されていますが、1年ごとの委託契約とのこと。こうした雇用委託契約の改善が必要と感じました。

元気な地場企業―(株)エフビーを視察

 山田町にある地場企業、株式会社エフビーを訪問し田鎖巌社長から話を聞きました。コネクタ部品と金型を生産している地場企業ですが順調に生産を拡大し昨年は年商41億円、従業員は323人となっています。岩泉町小本に新工場も建設中です。田鎖社長は地元の人材を育てる「寺子屋」の取り組みも行っています。「幸せとは、成長した自分に逢えること」「企業は人なり」をモットーに人づくりに取り組んでいることが印象的でした。県の人材育成策については、優秀な人材はどんどん県外に出て、残った人材を育てているのが地場企業だと人材育成の苦労をリアルに話しました。また、今の子どもは物を作る現場を見る機会がないとも指摘。関東自動車だけではなく地元の中小企業こそ人材確保と育成が必要と強調しました。

生徒の荒れを克服、少人数学級と少人数指導
宮古第二中学校を視察


 視察の最後は宮古第二中学校。少人数指導について聞きましたが、そもそも各学級が20〜30人以下の少人数学級となっています。そこで数学、英語などの少人数指導も行われていました。20人規模の学級のテーテーによる英語の授業を見ましたが、ゆとりある行き届いた本来の教育のあり方を見る思いでした。内海校長からは、一昨年から昨年にかけて卒業した3年生が荒れて大変だったが、それを克服解決したとの話がありました。生徒と教師の距離を縮めて教師全体が一緒になって取り組んだということでした。背景には経済問題を含めた家庭の事情もあったとのことです。先日開かれた今年の体育祭には前年の3倍の父母が参加してくれたとのこと。子どもを丸ごと受け止め、父母との協力連携を強めた取り組みが教訓的でした。
 県のコミュニティスクールの取り組みも行われていましたが、学びフェストの計画で数学や社会などの数値目標が出されていたことに、教育とは無縁の市場原理主義の持込を感じました。


《2008年5月19日》
大田地区で「後期高齢者医療制度を語り合うつどい」開く

 5月19日、午後から中大田新田公民館で「後期高齢者医療制度を語り合うつどい」が日本共産党太田後援会の主催で開かれました。
 私から後期高齢者医療制度の問題点について、@後期高齢者医療制度は医療費削減が目的、A予防、外来、入院、終末期のあらゆる段階で差別医療が導入された、Bすべての世代に重い負担と医療切捨てを押し付ける、C小手先の見直しではなく撤廃こそ必要と述べ、全国各地で怒りと運動が広がっている状況をリアルに紹介しました。鈴木努盛岡市議が、後期高齢者医療問題で4月2274件の問い合わせがあった。1万9261人が年金から天引きされていると報告しました。
 参加者からは、「月額1万5千円以上の年金から保険料を天引きしたら生活ができない」「入院患者が退院を迫られてもどうにもならないのでは」「遺族年金となれば半額となり、家賃を払えば生活できない状態だ。さらに保険料など払えない」「何の権限も財源もない広域連合の仕組みが問題だ」「やっぱり撤廃させなければ」など切実な意見がたくさん出されました。


《2008年5月18日》
県学童保育連絡協議会の定期総会で挨拶

 5月18日、県学童保育連絡協議会の第39回定期総会が滝沢村の県立大学で開かれました。総会には県内各地から指導員や父母など170人が参加。県の児童家庭課菅原実健全育成担当課長とともに、私と社民、民主、自民、無所属の県議会議員も来賓として参加しました。
 学童保育クラブは県内232クラブ、小学校437校に対し53.1%の設置状況となっています。71人以上の大規模学童クラブは19クラブとなっています。
 八重樫健会長は、「学童保育クラブを利用する子どもは増え続けているが、2010年度に向け71人以上の大規模学童の分離・分割問題の解決が求められている。劣悪な指導員の待遇改善も重要」と挨拶しました。私は、自民党政治による構造改革路線の元で、学童保育については11年前に法制化を勝ち取るとともに、昨年には厚労省に学童保育のガイドラインを策定させるなど重要な前進を勝ち取っていることを皆さんの運動の成果として確信にできると述べ、当面大規模学童クラブの分離・分割に向け、施設の整備を優先して進めるべきで、子どもの貧困化が重要な社会問題になっている中で、子どもや父母に寄り添って取り組む指導員の役割と待遇改善が急務と指摘して、指導員や父母の参加者に激励と連帯の挨拶を行いました。


《2008年5月13〜14日》
県議会特別委員会が平泉世界文化遺産を調査
関係者と意見交換も


 5月13〜14日、県議会平泉世界文化遺産推進調査特別委員会が平泉の文化遺産について調査を行いました。午前9時から、県議会大会議室で中村英俊県教委文化財・世界遺産担当課長から「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」の概要について説明を受けて、バスで現地に向かいました。
 午前10時半過ぎ、奥州市前沢区にある白鳥舘遺跡に到着。ボランティアガイドの皆さんが待ち受けていて説明を受けました。白鳥舘遺跡は、北上川の蛇行部という地理的な要害の地にあり、古代末期から中世にかけての北上川の要衝地の様相を示す貴重な遺跡ということです。岩盤でできているためこの地域だけは位置が変わっていないとのこと。遺跡から見る北上川の景観がすばらしいところでした。ボランティアの皆さんから郷土料理のゆべし飯などのおふるまいもありました。
 続いて昼前に奥州市衣川区にある長者ヶ原廃寺跡を尋ねました。平安時代中期、今から約1000年前に立てられた寺院跡とのことです。一辺100メートルの築地塀が方形にめぐっていて、その中に3棟の礎石建物が確認されています。奥州藤原氏の祖先にあたる安倍氏が建立したのではないかと考えられています。また、中尊寺が建立される前から衣川の地に仏教文化が華開いていたと考えられる事でも重要な遺跡です。
 その後、一関市の本寺地区に移動。昼食を30分で済ませ骨寺村荘園遺跡に向かいました。一関市の担当者から説明を聞き、本寺地区地域づくり推進協議会の役員の方々と意見交換を行いました。骨寺村は中尊寺の経蔵別当の所領とされ、田屋敷型散居集落が今でも当時のまま残されていることから平成17年3月に国史跡に指定されたものです。結いの精神が強く昔ながらの耕作が続けられていますが、今後もこうした景観を維持していくことは大変な課題です。
 さらに、達谷の窟、毛越寺、旧観自在王院庭園を視察しました。毛越寺からは平泉ガイドの皆さんから詳しい説明を受けました。
 5時20分からはホテル武蔵坊で、平泉町長、一関市長、奥州市長、平泉商工会長・観光協会会長などから現状と課題などについて意見を聞き、意見交換しました。
 14日は、9時30分に無量光院跡、10時過ぎに中尊寺を訪問。昨日に続いて平泉ガイドの方から詳しい説明を受け視察しました。藤原清衡が、戦乱の跡、非戦の願いをこめて浄土をめざし城や柵ではなく寺院を建立したということが現代にも生きる遺産だということが改めて強く実感させられた視察でした。


《2008年5月3日》
憲法記念日のつどい開かれる
日本共産党は街頭宣伝

 

 5月3日、61周年の憲法記念日に県民会館の会議室で「憲法記念日のつどい」が開かれ、会場いっぱいの方々が参加しました。鈴木露通いわて労連議長が挨拶したあと、日本平和委員会事務局長の千坂純さんが「派兵恒久法と憲法9条」のテーマで講演しました。
 千坂さんは、参院選挙での審判や読売の憲法世論調査、名古屋高裁のイラク派兵違憲判決など、この1年間の憲法をめぐる状況の大きな変化を強調。その背景に7000を超えた9条の会など草の根の運動の広がりがあると述べました。また、自衛隊海外派兵恒久法の動きが自民・公明、民主の間で進められていることを軽視できないと指摘し、その危険な内容について分かりやすく説明しました。第二部では、憲法前文を参加者で群読し、憲法に対する思いなどを意見交換しました。1922年生まれの元牧師さんは、明治憲法・大日本帝国憲法の下での23年間がどんなにひどいものだったかを中学生などに知らせることが必要と訴え、宗教者9条フォーラムの取り組みを紹介しました。また、憲法問題を報道しないマスコミの自主規制は戦前と似ていると指摘している、むのたけじ氏の発言も紹介されました。小野寺武男氏からは、「撫順の奇跡と日本国憲法」という発言もなされました。
 日本共産党は午後から、盛岡駅前、カワトクデパート前、中三デパート前で憲法記念日に当たっての街頭宣伝を行いました。これには私と瀬川貞清県書記長、神部伸也盛岡市議が参加。行く先々で拍手や激励をいただきました。


《2008年5月1日》
第79回メーデー岩手県中央集会に1200人
雇用・憲法守れ、後期高齢者医療制度は中止を


 5月1日、午前9時から岩手講演広場を会場に、第79回メーデー岩手県中央集会が開かれ、労働組合、民主団体など100団体、1200人が参加しました。初夏を思わせる日和のなか、主催者挨拶で鈴木露通実行委員長(いわて労連議長)は「若者の安定した雇用確保や貧困の解消なくして日本の未来はない」と述べ、雇用形態や業種の違いを超えた大運動を呼びかけました。自由法曹団の小笠原基也弁護士、日本共産党の瀬川貞清県書記長が連帯挨拶。初めて参加した青年ユニオンの青年は、「アルバイトをしていたが3月に解雇されユニオンに入った。最低賃金も安すぎる。みんなと力を合わせて何とかやっていきたい」と語っていました。会場には様々なプラカードやデコレーションが飾られ、餅まき抽選会も行われました。集会後市内を元気よくデモ行進。集会、デモの前後に連帯と激励の宣伝行動を行いました。